施術内容
下顎枝を下顎切痕から垂直方向に離断する下顎枝垂直骨切り術は、口外法によるものが最初でCaldwell&Letterman(1954)により報告されています。
その後、Winstanley(1968)は口腔内からのアプローチとして外科用バーを用いた方法を、Herbert(1970)はオシレーティングソーを用いた手術術式を発表しました。
さらにNickerson、Hallにより手術術式が改良され、術後の理学療法や顎間ゴムの使用などによる後療法が確立されたことから術後の優れた安定性が得られるようになりました。顎関節機能異常に対して有用であること、オトガイ神経麻痺などの知覚異常の出現が少ないなどの点から、今日では世界中で広く用いられてきています。本法は手術術式が単純で比較的容易ですが、歯科矯正治療(後療法)が不十分な場合にはさまざまな不都合を引き起こす可能性があります。すなわち外科医側というよりは矯正歯科側の腕が大きく問われる手術法なのです。
また形態的には、術直後は下顎全体がかなり後退した状態ですので、顎間ゴムでに前に引き出してくる必要があります。術後矯正の治療期間の過程の途中でも、実際の最終的な仕上がりよりは常に”下顎全体が引っ込んだ状態”に見えていますので、下顎前突患者様にとっては好ましい状態であるという方が少なくはありません。
本法の特徴
本術式の利点は、術後に下歯槽神経症状が出現しにくいことです。矢状分割法では、下顎枝の骨の厚みが薄い場合にはどんなに外科医側が注意しても神経症状が出ることを避けることはできません。
また顎関節症症状を有する症例に有用であること、下顎非対称症例に有用であることなどが特徴です。
一方、骨切り骨片間の固定をしないため、術後に顎間固定、顎間ゴム牽引などが必要ですが、適切に顎間ゴムを使用することで、術後矯正治療の際、良好な咬合状態を効果的に獲得することができますが、矯正治療期間は矢状分割法と比較してやや長引く傾向があります。
適応症
下顎骨を後退させるすべての症例に適応できます。
但し無歯顎(歯がない場合には適切な歯科矯正治療が行えません)や咬頭が摩耗して術後に安定した咬頭嵌合が得られない症例では適応困難となります。
術前診断
すべての顎矯正手術に共通ですが、術前に個々の解剖形態を把握することは、安全、確実に手術を進める上で重要です。
基本的な診査、診断に加えてセファロ、パノラマX線写真、CT画像、さらに3Dモデルを作成し、患者様個々の特徴をあらかじめ把握しておきます。
手術手技の実際
手術は全身麻酔下で行われます。日帰り手術ないしは1泊入院で行われています。
(1) 局所麻酔薬の術野への浸潤
止血の目的で1%キシロカインEを下顎枝前縁、下顎枝外側切痕部、内側切痕部、下顎角部、下顎大臼歯歯肉頬移行部に浸潤させます。
(2) 切開
下顎枝外斜線上で、下顎咬合平面やや上方の高さ(おおむね下顎孔の高さ)から下顎第一大臼歯近心で歯肉頬移行部にいたる約4㎝の粘膜、骨膜の切開を行います。
切開は低い位置で始めることにより脂肪組織の逸出、頬神経の損傷が避けられます。
(3) 剥離
骨膜剥離は、下顎枝前縁に停止する側頭筋の剥離から始めます。下顎枝前縁より、骨膜剥離子にて下顎枝内、外斜線に沿って存在する側頭筋腱を幅広く剥離しつつ、前縁剥離子にて側頭筋腱をもちあげるように筋突起基部まで剥離します。
次に筋突起基部を骨把持鉗子にて把握し、下顎骨をややもち上げながら下顎枝外側骨膜の剥離を行います。
下顎切痕付近は骨の陥凹が存在することに加え、咬筋深層、頬骨下顎筋が停止するため骨膜を破綻させやすく、特に注意を要します。
次に下顎枝後縁、下顎下縁、下顎角部に停止する咬筋の剥離に移りますが、この部の筋膜の破綻は術後出血の可能性があるため、より慎重に剥離操作を行います。
特に咬筋や下顎角の発達した症例や下顎枝の内側への弯曲が強い症例では骨膜や筋膜を破綻させやく、骨の弯曲の骨膜剥離子を用いつつ丁寧に行います。
続いて下顎枝内側の剥離に移りますが、下顎切痕から下顎孔に至る部分の下顎枝内側の剥離では、内側の組織を保護するためのリトラクター挿入し明視下での骨切りを可能にするために行います。
下顎枝内側の剥離は、側頭筋の停止する筋突起の内側から内斜線に沿って幅広く行うことより始めます。
筋突起内側の骨隆起部から切痕陥凹部に側頭筋が腱として強く停止するため、剥離の際に骨膜の破綻をきたしやすいため、この部の剥離も隆起した骨の形態に応じた骨膜剥離子を用いて骨面に沿った剥離を行い、筋突起内側ならびに内斜線部の隆起した骨の削合を行うと内斜線より下顎小舌にむけた下方からの剥離と相まって、切痕部にいたる術野がひらけます。
あらかじめ骨の隆起や陥凹状態、下顎枝内側面の小孔などについて、3次元模型より情報を得て行うことで操作は容易になります。その後の後縁までの骨膜剥離は容易です。この下顎枝内側の剥離は、下顎枝矢状分割法とほぼ同じ操作ですが、垂直骨切り術では、より切痕部を明らかにさせる必要があり、この部の十分な剥離を行います。
(4) 骨切り
リトラクター挿入:
バイトブロック、舌鉤をはずし、軟組織の緊張を取り除いた状態で、切痕リトラクター(Bauerリトラクター)と下顎後縁リトラクターを挿入します。
骨切りデザイン:テンプレート法
骨切りは下顎孔後方で、上方は下顎切痕に、下方は下顎角前方の下顎下縁にいたる弧状の骨切りを行います。
術前にCT画像、3次元模型を用いて顎骨形態、外側翼突筋、顎動脈の走行状態などを検討し、これに基づいて骨切りラインを計画します。
本術式における最大の問題点は下歯槽管の入り口、すなわち下顎孔の位置を確認しながら骨切りできないところにあります。
そこで当院独自で、下歯槽神経損傷を避ける方法を開発しております。
手術前に下顎骨3次元実体模型から下顎枝の骨切り線デザイン用のテンプレートを作成します。術中に下顎枝後縁にこのテンプレートをかぶせた状態で骨切りラインをデザインしているため、下顎孔を避けた安全な骨切りを行うことができるのです。
骨切り開始:
骨切りの開始に先だって術前に製作したテンプレートを下顎枝後縁にフィットさせまます。テンプレートの辺縁に沿って2㎜ラウンド・バーで骨切りラインを印記します。
通常は下顎孔の高さレベルでは、下顎枝後縁より5~7㎜のところになります。
下顎枝の内側弯曲が強く後縁が明視できないような患者様の場合(実際には結構多いのですが)には、内視鏡が非常に効果を発揮します。
オシレーティングによる骨切りでは中央部から開始しますが、刃先の内側皮質骨を超えての侵入は最小限にすべきです。 その後下方の下顎下縁に向かい、最後に上方切痕部への骨切りを行います。
切痕部への骨切りは切痕前方部の方が骨が薄く容易です。切痕部への骨切りは前述のごとく、下顎枝内側軟組織を保護するためのリトラクターを挿入し、明視下で確実に下顎孔上方から切痕部への骨切りを行います。
(5) 近位骨片の分離と近位骨片の整理
近位骨片の処理: 骨切りが十分に行われると下顎後縁にかけてあるリトラクターを外方にもち上げることにより、近位骨片が分離して外側に出現します。これを保持しつつ、剥離子を骨切り骨片間に挿入し、さらに近位骨片の明示と内側翼突筋の剥離を行ないます。
*内側翼突筋の処理について:
内側翼突筋の剥離について、Hallは内側翼突筋のした前方の剥離は必要であり、
その程度は骨切り後の近位骨片の重なり合いの度合い、下顎枝の厚さによるとしている。
とくに大きく下顎骨を後方移動するためには内側翼突筋すべての剥離も必要となると述べています。
一方、内側翼突筋すべての剥離が行なわれると、外側翼突筋に対する抵抗はなくなり、いわゆる下顎頭の“sag”は顕著となり、顎関節脱臼の可能性が生じます。
Wertherは内側翼突筋を剥離せず、残存させることにより、嚥下運動の際の筋バランスによる近位骨片が適切な位置に保たれるため、内側翼突筋優先による近位骨片の位置異常や下顎頭脱臼を防ぐことが出来るとしています。
実際には下顎後方移動量の大きい症例では、内側翼突筋を残存させた状態では骨片を重なりあわせることは困難で、内側翼突筋の十分な剥離が必要になります。その際の近位骨片の位置付けと安定は、干渉部の骨削合による調整、顎骨周囲筋の作用、術後の顎間固定やエラスティックによる顎間牽引により計られます。
骨切り骨片の削合:
下顎骨を後方に移動した際、近位骨片が大きく外方に突出することがありますが、その場合には骨片の削合、調整が必要です。
はじめに切痕部付近の接触部の骨削合を行い、骨切り骨片を可及的に広く接触させるよう調整します。
続いて近位骨片下端の突出部の削合、切除も行います。
術前に作成したオクルーザンスプリントを介在させ、容易に下顎歯列がスプリントに適合することを確認し、仮顎間固定を行います。
近位骨片の位置や接合状態、異常出血のないことを確認した後、ペンローズ・ドレーンを留置して粘膜骨膜縫合を行います。
後療法について
IVROによる外科的矯正治療において、良好な咬合状態と顎機能の維持・安定を得るための鍵は、術後の顎間ゴム(トレーニングエラスティック)の適切な使用と開口訓練などの後療法にあります。